編集長コメント (2023年8月14日発行、第54号に寄せて)
今号では、中国の製薬企業のASEAN進出を取り上げる。医薬研発達人でASEANについて特集するのは、今回の第54号が初めてである。
今号の記事には、多くの中国企業名や中国発製品名が登場するが、ひとつひとつ覚える必要はないと思われる。代わって読者の皆様に感じていただきたいのは、彼らの勢いと熱量、そして将来のASEAN医薬品市場において予想される諸外国のプレゼンスである。
今、中国企業のASEAN進出は目覚ましいが、その大部分は2020年以降、コロナ禍で世界の経済が停滞していた、わずかここ数年の間に始まったものである。
今年4-5月に中国医薬創新促進会(China Pharmaceutical Innovation and Research Development Association, PhIRDA) と医薬研発達人の共同で行った中国のBiotech/Biopharmaに対するアンケートでは、中国企業のASEANに対するpriorityは高くなかった(医薬研発達人第51号「第15回DIA中国年会報告(第一弾)」の図2参照)が、それは先進国と比較すると高くないという意味であって、「priorityが高くないから進出しない」という意味ではない。
そこに市場性や成長性が見込めて、かつ進出にあたっての障害を乗り越えられるのであれば、当然、進出する。そして、1社や数社が進出して上手く行ったら、すぐさま多くの企業が後に続く。
まず、市場性や成長性についてであるが、2022年11月に製薬協から発行された「てきすとぶっく 製薬産業2022-2023」によれば、新興国医薬品市場の2022-2026年平均成長率は5-8%と予測されており、米国、欧州、中国の予測成長率を上回っている。また、別のデータでは、2030年時点でASEANの医薬品市場は5兆円規模(日本の約半分程度)に達しているという予測もある。
次いで、進出障害についてであるが、確かに今号の記事にも記載されているとおり、ASEANは治験開始時のIND申請においても、NDA承認申請においても、書式や審査プロセスや流儀が国によってバラバラで、さらには公用語に英語が含まれるシンガポールとフィリピンを除いてlocal language barrierも存在する。ところが、それらは何回か経験すればすぐに慣れることと思う。
また、NDA時の共通書式としてASEAN CTDは存在するが、ICH CTDも広く受け入れられるなど、医薬品規制に関しては、ASEAN独自のharmonisationを重視するよりも、むしろICHとの融合に力を注いでいる。実際、シンガポールはICH memberであり、マレーシア、インドネシア、ASEAN(Regional Harmonisation Initiatives, RHIsのひとつとして)はICH observerである。
加えて、ASEAN各国でのNDA承認申請において、ASEAN域内でのlocal clinical dataは基本的には(あるいは結果として)求められないということも、市場進出にあたってのハードルを大きく下げている。
現在、ASEAN諸国から求められているのは、特許が切れた安価なgenericsや顧みられない熱帯病(Neglected Tropical Diseases, NTDs)の治療薬/予防措置だけではなく、米欧日中と同様、世界最先端の抗がん剤を含む非感染性疾患(Non-Communicable Diseases, NCDs)治療薬、希少疾患治療薬、小児用医薬品である。
日本の製薬企業のASEAN進出(現地法人設立)は1990年台後半には始まっていて、今から16年前の2007年4月時点で既に、インドネシア11社、タイ7社、シンガポール、マレーシア、フィリピン各4-5社、ベトナム数社の日本企業の現地販売拠点があった。
さらには、PMDAの業務実績によれば、2000年以来、インドネシア、マレーシア、タイ、ベトナムなどにおいて、日本は医薬品の迅速審査参照国制度等の対象国となっているし、製薬協がリードするアジア製薬団体連携会議(Asia Partnership Conference of Pharmaceutical Associations, APAC)は、2012年に開始され2023年4月に第12回目が開催されるなど、既に11年の歴史を有している。
現法の歴史も、当局からのサポートも、団体としての協働も、全て大切であるが、個々の企業の個々の製品の時宜にかなった進出こそが最も重要かも、と近年の中国企業のASEAN進出におけるスピードとパワーを見ていて思った。
⾼野 哲⾂(Fortrea Japan)(Labcorp Development Japanの臨床開発部⾨は2023.5.1付でFortrea Japanに社名変更いたしました)
文|施桜子(Shi,Yingzi)
近年、多くの中国の創新薬企業は新たな市場を開拓するためにASEAN諸国に進出している。しかし、欧米などの先進国で(進出した)研究開発型企業が主導するのとは異なり、主に中国の投資家と医薬品代理企業(Contract Sales Organization, CSOあるいはDistributor)が協同で主体となってASEANの市場に進出するケースが多い。
ASEAN市場において上記の協同進出がどの程度行われているかは、中国本土の創新薬がどのくらいライセンス取引されているかを見ると明らかである。
協同進出の場合、中国の医薬品代理企業や、中国資本の投資を受けて成長してきたASEAN現地企業がライセンス受託会社(ライセンシー)となることが多い。『医薬研発達人』の統計によると、2021年初頭から2023年5月までに、中国の創新薬(但しバイオシミラーも含む)のASEAN市場に関わる医薬品ライセンスの取引は10件もあった。
たとえば、君実生物(Junshi Biotechnology)とライセンス提携している康聯達生物技術(Rxilient Biotech)は2021年11月に設立された。同社のウェブサイトによると、設立の目的は東南アジアと中東地区の市場を開拓するためである。同社は、君実生物のトリパリマブのほか、合肥天麦生物(Hefei Tianmai Biopharmaceuticals)のインスリンおよびインスリンアナログの東南アジア諸国におけるライセンスも取得した。
2021年には、ASEAN市場において3つの中国発創新薬のライセンス契約が締結された(イノベント社のベバシズマブバイオシミラー、キンター社のプロキサルタミド及び艾博生物(Abogen)のmRNA 新型コロナウイルス感染症ワクチン)が、これらの契約すべてにおいてライセンスを受けたのはエタナ(Etana Biotechnologies)社だった。
エタナ社 はインドネシアのバイオテクノロジー企業であるが、その主要な資本提供者の一つは中国の投資機構である君联资本(Legend Capital)である。2022年に完了したエタナ社の数千万ドルのシリーズB資金調達は、もう一つの中国資本の雲峰基金(Yunfeng Capital)が主導した。昨年6月にはベバシズマブのバイオシミラーの5つの適応症がインドネシアの医薬品規制当局から承認された。また艾博生物のmRNAワクチンもインドネシアで承認されており、昨年末に完成したエタナ社の生産拠点は、これらの製品の量産に活用されることとなる。
写真はエタナのmRNA生産拠点の除幕式に出席したインドネシアのジョコ・ウィドド大統領(左から3人目)。出典 | Sekretariat Kabinet Republik Indonesiaウェブサイト
また、近年では製品のライセンスイン開発を主力とする中国企業もASEAN市場に展開している。聯拓生物(LianBio)、徳琪医薬(Antengene)、雲頂新耀(Everest Medicines)、Okuvision、華東医薬(Huadong Medicine)などの名が挙げられる。
雲頂新耀は以前、Trop2 ADC サシツズマブ ゴビテカン-hziy (Trodelvy) を導入しており、これは昨年初めにシンガポールHealth Sciences Authority, HSAによって販売が承認された。さらに、徳琪医薬の Selinexor 錠剤もマレーシア、タイ、インドネシアでの販売申請を行った。
東南アジアにおける医薬品の開発と実用化のプロセスは欧米諸国とは異なり、一見「単純」な作業である。
徳琪医薬の運営副総裁、銭偉(Qian, Wei)氏によると、医薬品を東南アジア諸国で開発する際に、国際共同試験データがある限り、医薬品承認取得のために東南アジア地域で独立した臨床試験を実施する必要はなく、多くの場合、ブリッジング試験すら行う必要がない。ASEAN諸国は、FDAの医薬品承認結果を認めるとともに、自らの医薬品登録通用技術基準であるACTD(ASEAN Common Technological Document)を確立し、実施している。
同氏は、セリネソという品目が多くのASEAN諸国で販売申請を行っているが、用いられている臨床試験データはすべて米国で行ったものであると述べた。
市場の潜在ポテンシャルに加え、柔軟な医薬品規制政策も、中国企業を ASEAN 市場に惹きつける理由である。中国国内で開発された新薬や輸入品目の多くは、すでに FDA の販売承認を得ているか、または国際共同試験データが得られている。
にも拘わらず、中国の創新薬が ASEAN 諸国で承認に成功した例はそれほど多くない。現地市場での製品の登録アクセスと市販後の管理には、多様な規制、商業化チャンネル、経済的および文化的要因などにより、ASEAN諸国への進出は簡単なものではないのである。
多くの中国企業は、ASEAN市場がまとまった一つのビッグマーケットではなく、各国それぞれに特徴のある個別のマーケットであることを認識し始めている。
シンガポール科学技術研究庁(Agency for Science, Technology and Research; A*STAR)が建設したバイオポリス。 シンガポールはASEAN市場のリーダーである。出典 | Jurong Group、A*STAR ウェブサイト
従って、ASEANで市場を拡大するためには、欧米などの先進国と比べ、企業の科学研究能力や承認申請能力の必要度は低い一方、医薬品の承認申請に関わる地域チームの管理能力は高く求められる。地域の文化的特徴や業界の経験を考慮すると、適切なチームを見つけるのは簡単ではない。たとえば、タイの規制要件を理解し、タイ語を話せる承認申請管理者を募集することは困難である。さらに規制当局への登録、医療事務、ファーマコビジランス、市場アクセスなどの完全な機能をカバーする商業化チームを現地で設立する必要がある場合、運営コストが大幅に増加する可能性がある 。
実状を見てみると、ASEAN事業を展開する中国企業は、早期に現地人材パイプラインを構築していることが分かる。
徳琪医薬のアジア太平洋チームのコアーメンバーはいずれもCelgene のアジア太平洋チームで複数の製品の発売と導入を行った経験を有する。Celgene がブリストル マイヤーズ スクイブに買収された後、そのアジア太平洋チームは徳琪医薬に統合され、その結果、チームには現地の経験豊かな従業員が増え、充実した組織機能を有することになった。
このように、東南アジア市場を開拓するためには、人材(経営陣を含む)が強く求められていることが分かる。中国の創新薬がASEANに進出するにあたり、さまざまなタイプの会社との協力が必要なのは、このような人材や組織構築上のニーズがあるからであろう。
中国の創新薬にとって、ASEANはまだ未開発のマーケットである要素が多い。ASEANの大半は発展途上国であるが、総人口は6億人を超え、創新薬市場は急成長期にあると位置付けられている。
PD-1阻害剤を例に挙げると、ASEAN主要5カ国(フィリピン、インドネシア、マレーシア、タイ、ベトナム)の多国籍企業の2022年総売上高は、前年比36% 増の1億2000万米ドルに達した(君実生物提供データによる)。
『医薬研発達人』のインタビューによると、多くの専門家は、高品質で低価格の中国の創新薬は多国籍企業の製品に比べても、十分に競争力があるということを示していた。
易凱資本(CEC Capital)が発表した統計によると、2017年以来、毎年6~8品目の創新薬がFDAに承認申請されている事は、中国企業の研究開発力を反映しており、ICHへの加入もまた中国の医薬品開発規制が世界標準と一致していることを表している。
ただ、中国企業の薬価設定は先進国並みにはなっていない。現在、多国籍企業のPD-1阻害剤やその他の製品の価格は中国国民の経済的負担能力を大幅に上回っており、中国の創新薬が市場を埋める余地が生じている。君実生物のトリパリマブはASEANに進出する際、欧米企業の製品と比べて価格的な柔軟性がより高いと言及した。
また、中国企業が開発する創新薬は多岐にわたっている。Informa発行の30th Annual Pharma R&D Review 2022によると、2022年初めの時点で中国の医薬品研究開発数は急増し、世界第2位となっており、製品の研究開発の品目数や適応症も豊富である。
同時に、中国の創新薬開発はアジアの人々にある程度の関連性を持っている。ASEAN諸国のほとんどの住民は黄色人種に属しており、鼻咽頭癌やその他の疾患の流行特性は中国人のものと類似性がある。中国の創新薬はこの点でより多くの臨床開発と使用経験を蓄積していると言える。
ASEAN市場への参入は、中国の創新薬研究開発企業の国際的視野の拡大を反映している。数年前では、海外進出といえば米国における開発を意味したが、今では中国の創新薬の足跡は五大陸の多くの国に残されている。
百済神州(BeiGene)、複宏漢霖(Henlius)、君実生物(Junshi Biotechnology)はいずれも、アジア、アフリカ、ラテンアメリカの多くの発展途上国を含む、世界数十カ国で主力製品を発売またはライセンスアウトしている。さらに、一部の品目は医療保険へのアクセスにおいても画期的な進展を遂げており、徳琪医薬はセリネソがオーストラリアで承認されてから、最初の適応症がオーストラリアの国民健康保険に組み入れられるまで 180 日もかからなかったと報じた。
以上述べて来たように、中国の創新薬の海外進出は東南アジア各国のみに留まらず、世界中の各国へさらに進展してゆくであろう。
謝 辞:
日本語訳と編集、レビューをいただいた石薬集団チーフメディカルオフィサー項 安波(Xiang,Anbo)博士、東方伊諾の董 方(Dong,Fang)様、医薬品開発コンサルタント植村 昭夫博士、医薬研発達人編集長高野 哲臣氏に深く感謝申し上げます。
前号までの記事は下記からご覧いただけます。
第53号:中国のADC–10年の蓄積と3年の飛躍–
第52号:第15回DIA中国年会報告(第二弾) 医薬研発達人創刊2周年記念号
第51号:第15回DIA中国年会報告(第一弾) 中国バイオテク企業が日本へ進出するということ
第50号:呉洪福教授:中国は日本の幹細胞産業から何を学べるか
第48号:中国において抗悪性腫瘍薬の単群試験が適用となる6つのケース
第47号:2022 CBIICにて中国医薬品規制改革の成功の軌跡と今後の課題を見る
第46号:2023年度中国国家医療保険償還医薬品リスト(NRDL)交渉結果
第44号:中国における中枢神経系医薬品の研究開発:果てしない闇を越えて
第43号:中国の伝統的なジェネリック医薬品企業はどのようにして創新薬創出企業に生まれ変わったのか?
第42号:王娜アステラス中国開発本部長:アステラスは中国を含む世界同時開発を一歩一歩実現させる
第40号:中国は「患者を中心とする」新薬臨床開発の時代を開く
第39号:医薬研発達人第39号:2023年新春挨拶
第38号:25th CSCO 2022-CDE Session報告
第37号:海南博鰲(ボアオ)楽城国際医療観光先行区における「中国市場先行参入」の道
第35号:CDEが抗体薬物複合体(ADC)ガイドライン(案)を発出
第34号:DIA AsiaとDIA日本年会を通じて得られた中国に関する知見
第33号:住友ファーマ中国 纐纈 義隆氏:中国での新たな挑戦
第31号:中国における細胞及び遺伝子治療製品の審査概要と業界動向
第29号:中国における医薬品の臨床試験中ならびに市販後の変更
第28号:張 剣教授:中国の若手研究者により多くの成長の機会を!
第27号:中国バイオのイノベーションを投資市場の視点から切る
第26号:医薬研発達人創刊1周年に寄せて (2022年7月4日発行、第26号)
第23号:CDEのバイスペシフィック抗体医薬品ガイドラインがもたらすもの
第22号:中国製薬メタモルフォーゼ: BiotechからBiopharmaへ
第21号:中国における小児用医薬品開発の課題―現状を打破するにはー
第20号:2020年に登録された中国臨床試験の全体像から分かること
第19号:中国の製薬会社は、米FDAにおける信達生物製薬(Innovent)の経験から何を学ぶべきか?
第15号:2018~2021:過去4年間の創新薬の承認状況を振り返って
第13号:呉一龍教授:中国は世界の臨床研究において、重要な役割を果たしている
第12号:第6回中国医薬創新投資大会(CBIIC):導入(Buy)、フォロー(Follow)、改良(Improve)から真のイノベーションへ
第11号:CDE化薬臨床1部 楊志敏部長ご講演聴講記 (第18回DIA日本年会2021)
第10号:CDEが抗悪性腫瘍薬の臨床開発ガイドライン(案)を発出
第9号:2021年上半期の中国の製薬企業の導出・導入状況の分析
第8号: 中国GVP (Good Vigilance Practice) の公布・施行
第7号: 協和キリン丁 锎氏:日中両国臨床データ相互利用を強化する可能性
第6号:臨床的価値に焦点を当てる優先審査と特別審査 |上市促進プロセス(下)
第5号:中国の画期的治療薬、条件付き承認を多角的に分析|上市促進プロセス(上)
第4号:武田薬品の王 璘:中国の薬品研究開発:世界に追いつき、世界の研究開発をリードする
第3号:1回日中ICH合同シンポジウム:日中協働と相互理解の促進
第2号:NMPAはどのようにICH管理委員会メンバーに再選されたのか?
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